名神高速彦根ICすぐそば。五百羅漢で有名な曹洞宗天寧寺は彦根城を臨む小高い丘の上にある。
五百羅漢で有名なこの寺は秋になると萩の花が咲き乱れることから、別名萩の寺と呼ばれているそうだ。
境内に入るとまず目を引くのが羅漢堂(仏殿)である。裳腰付き入母屋造りの立派な建物は安置されている羅漢像拝観の期待を高める。銅版の錆びを見る限り建物はそれほど古くはないようだ。
受付で拝観をお願いしたところ、「お坊さんから拝観料(400円)はいただけませんよ」とのこと。あぁ、久々に人情にふれた・・・
堂内は瓦の四半敷きの床、そして入り口以外の三面に安置されている羅漢像は五百を超える数だという。五百羅漢や千手観音などの五百や千という数は大数(数が多いことを表す語)をさすことが多いのであるが、これだけの数は圧巻である。
正面の本尊様に目を向けてみる。頭上に冠があるので観音菩薩かと思ったが、なにやら違和感が。法界定印を結ぶ坐禅形。そして脇侍は十体の阿羅漢。この十体が十大弟子であるなら、宝冠釈迦牟尼仏であろう。お目にかかるのは初めてである。
旅の疲れを取るかの如く、少々この場で脚を止めた。珍しい本尊様と十人十色な表情の羅漢様をしばしの時間堪能し外へ。
羅漢堂の奥には眼前に枯山水の庭園を広げる法堂(はっとう)がある。
曹洞宗の寺院建築様式では、釈迦牟尼仏を祀る仏殿と住職の説教を行う法堂という建物がある。しかし、ほとんどの寺院の場合、仏殿と法堂を同じ建物とし、「本堂」という名で呼んでいる。しかし天寧寺の場合は羅漢堂として仏殿が独立しているため、この堂は本堂でなく法堂である。
羅漢堂より小さいため境内正面からは見えないが、枯山水との調和が見事な飾りのない法堂である。
観るものを飽きさせないこの寺だが、建立には悲しい話がある。
彦根城の北に、現在玄宮園にある男子禁制の欅御殿の腰元若竹が、子供を宿していると云う噂が彦根藩第十一代藩主井伊直中公の耳に入った。相手の名を問いただすが、名を明かさない。実はその相手、直中公の若君であった。愛しい君に及ばす迷惑を考えた若竹のけなげな恋心が最後まで若君の名を口にさせなっかた。法度を破った濡れ衣を着たまま、手打ちされ、腹の子と共に旅立った。
後に事実を知りとて悔いても遅し、直中公にとっては初孫であった。直中公は井伊家菩提寺・清涼寺の寂室堅光禅師の指導のもと追善供養のために、京仏師駒井朝運に刻ませて五百羅漢を安置し天寧寺とした。
そろそろ日が暮れる。最後にもう一度手を合わせ、悲恋の寺を後にした。
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