西来院の歴史は古く、南北朝時代に秋田市松原にある補陀寺様の二代目住職無等良雄禅師が自身の閑居の為に建立した塔頭寺院であった。その後補陀寺歴代住職何代かの閑居ののち、江戸時代には廃寺同然となっていたそうだ。そして今から二百数十年前その西来院を秋田藩九代目藩主佐竹義和公が高清水の麓である寺内神屋敷に移転再興された。
その廃寺同然であった補陀寺塔頭西来院(以下祖堂)であるが、実は現在も補陀寺の山中に残っているのだ。当時の建物が現存している訳ではなく、簡素なお堂であるが、地域の人々の手によって今でも篤く護られている。
その祖堂が老朽化した為、改築なさるということを補陀寺筆頭総代の工藤嘉左衛門氏が教えてくれた。この祖堂の存在は人伝いに聞いたことはあったのだが、恥ずかしいことに一度も参拝したことがなっかった。工藤氏に解体前に必ず祖堂へ参拝に行くことを約束した。
そしてこの度、補陀寺住職大山陽堂老師の計らいにより祖堂解体の儀式への参加の声がかかり、昨日初めて祖堂を目の当たりにした。
補陀寺様の境内にあるとはいえ、広大な山中に建つ祖堂は案内無しでは辿り着くことはできなかったであろう。かろうじて道と思しき道をゆく。
人里からさほど離れていないが杉の木が多い茂る山中に祖堂はあった。高い杉の木が日中にもかかわらず薄暗く涼しい空間を作り出す。
地域の方々の見守る中、補陀寺住職大山老師の導師により読経が始まる。小さな祖堂の中には皆様が持ち寄った供物と導師様の為に準備された綺麗な座布団が。ありがたい陀羅尼の読経、そして皆様の焼香により、解体の為の儀式は無事終了した。
「この地区では子供が病気になると西来院様へ連れてってお祈りするんです。」と補陀寺筆頭総代の工藤氏が教えてくれた。なるほど、祖堂の本尊様は子供を護ってくださる慈悲の仏、お地蔵様であった。
小振りな石造りのお地蔵様は半跏の形である。石仏であることと石仏表面の状態から昔は野外に鎮座していたものと推測される。二百数十年前の移転の際に屋外から他の石仏と共に祖堂へ安置されたのであろうか。軽く丸みをおびたその造形からは地蔵菩薩の慈悲が見て取れる。
新祖堂の完成は5月中とのこと。現在のものより大きく、そして立派な堂になるらしい。落慶にもお声がけして下さるそうなので、そのときが楽しみである。
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