当院の鎮守様「摩利支天」のご紹介。
陽炎を神格化したとされる摩利支天は平安時代に日本へ伝わり、武士を中心に信仰を集めました。陽炎は実体がないので捉えられず、傷付かない。それが転じて必勝祈願の仏として戦場へ発つ武士達に拝まれたようです。
当院の摩利支天像は大正11年に寄進されたレリーフの石仏。当院の摩利支天信仰や鎮守としての勧請はいつ頃から始まったのかは定かではありませんが、本堂の一角に摩利支天堂を造り安置しております。秋田県下で摩利支天を鎮守として祀っている寺院は少ないと思われ、もしかしたら西来院だけかもしれません・・・
摩利支天には様々な形がありますが、当院は三面六臂(顔が三つ、腕が六本)で猪へ乗っています。手はそれぞれ、剣を掲げ、弓をひき、槍を振るう勇ましい姿です。光背は陽炎というより燃え盛る炎に見え、猪の躍動感たるや石から抜け出て天まで昇らんとする程です。
摩利支天堂で古い祈願札を見つけました。太平洋戦争に召集された方の名前が書いており、その方の家族が祈願したものです。
昔聞いた話です。「摩利支天さんには勝利をお願いするのではなく、無事をお願いするんだよ。無事に帰ってこれるように摩利支天さんが護ってくださるんだよ。」
祈願札を書いた人も、家族が無事帰って来るようにと祈ったのでしょう。
普段は摩利支天像の前に鏡を置いている為、全体像を見る事はできませんが、秘仏ではございませんので全体像を見たい方や写真を撮りたいはあらかじめ住職まで電話にてご連絡ください(ホームページ内アクセス参照)。
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